10月に入っても暑さは続いたが、このところやっと秋らしい日が訪れるようになった。この2週間は本来の仕事と趣味や地域活動に振り回されているが、それなりの頭の切り替えと集中によって切り替えている。ちょっと整理して日記スタイルで感じたことを記してみた。
10月1日 都留市にある電子部品会社が植物工場を始め、さらに浅漬け分野に進
出のため衛生管理技術をコンサル。2回目となるが専門的知識が少な
いのでサイエンス部分を省略して方法論の指導。伝授方法に悩む。
10月2日 ザクロ果実の機能性成分の効果検証と新製品開発のプロジェクト推進
のため県立ワインセンターで成分分析。委託製造ワイン会社との調整。
なんとか方向づけができた。
10月3日 顧問会社社長や某食品会社社長らとゴルフ。70肩(まだ少し間があ
るが)と自分で決めつけているが、それでも50,49と久しぶりに
100を切る。もう少し慎重にすればと思ったが、たらればはダメと
反省
10月4日 甲府市教育委員としての教育委員研修会に参加。いじめ対策の講師の
先生の話しに納得するが、いじめられる側ばかりに目を向けていじめ
る側の心理探索も必要ではないかと思う。やや消化不良。終了間際に
企業から緊急相談。終了と同時に飛び出す。どうもこちらに関心がいく。
10月5日 東京ビッグサイトの食品開発展に調査出張。朝行くか行かないか迷っ
たが、やはり行かなければ置き去りにされるような恐怖感で上京。付
き合いのある企業ブースで話が出来、意外な人物と会場で会い、行っ
て良かった。
10月6日 小学校の孫2人の運動会。見ているだけであるが疲れた。夜は地元自
治会の交流会。別の企業のイベントにも招待されていたが、先約であ
ったので参加。ちょっと飲み過ぎで帰路の短い道程で2回転倒。ひざ
を擦り剥き、肩も打った。こんなことは初めて。飲み過ぎで反省しきり。
10月7日 趣味の将棋(最近は多忙で指していない)の1日であった。静岡県山梨
県の交流将棋大会。連盟の県支部連合会副会長であるのでまとめやく
として出席。静岡県側は元全国アマ名人、静岡元アマ名人等実力者揃
い、こちらも強力なメンバーであったが、山梨の若手が健闘。良い交
流会であった。
10月8日 家内の要請で大泉村に工房昴を訪問。芸術家の集積地域を実感。帰途
高根町ふれあいセンターで交響曲と合唱のコラボレーションはなかな
か。音楽に陶酔したのか。少し居眠り(笑)
10月9日 ザクロ果汁の発酵特性試験をセットし、今後の経過を見る。うまくい
きそうである。飛び込み技術相談があり、解決の見通しはできた。
10月10日 定例教育委員会への出席。秋の行事は結構多い。我が委員会は情報
交換の密度は高い。
10月11日 15日の講演時の材料調達のため(株)かいやに向かった。煮貝と生ア
ワビを購入した。ひさしぶりの(株)かいやであったが、トップは代
わっていたものの、会社の状況は変化ないようだ。帰路工業技術セン
ターを訪問し、ザクロプロジェクト研究の打ち合わせ。予定通りの進
行にホ!
10月12日 山梨県食品技術研究会の工場見学会。26名の多数が参加。富士吉
田市のキユピー富士吉田工場と沼津の食肉加工会社米久を見学。ど
ちらも丁寧な説明に感謝。良い勉強になった。帰宅は19時近くに
なり、多少疲れたが、成果を思えばなんのその。
10月13日 甲府市内老舗ホテル談露館で開催された新潟大学医学部学士会関東
甲信越静大会の特別講演講師として講演を行った。日本のワインと
世界のワインと題しての話であったが、時間が十分でなく不満であ
った。それでも招待された懇親会では勉強になりましたという数人
の答えがあり、ほっとした。プロのクラリネット奏者の素晴らしい
音色と座ったテーブルの皆さんとの楽しい会話は2時間以上はあっ
という間に過ぎ去った。
10月14日 今日は日本将棋連盟山梨県支部連合会支部長会議。同時に山梨日
日新聞社と静岡新聞主催の本年度両県アマ名人と森内プロ名人との
指導対局。山梨放送ビルの地下の講堂で開催された。会議との同時
開催で午前中は終盤しか観戦できなかったが、高校生の静岡アマ名
人が飛車落ちで勝利した。午後は古屋山梨アマ名人が角落ちで挑戦
し、激戦の末勝利した。古屋アマは山梨県の歴代アマ名人の中では
群を抜いて強く、全国大会でも輝かしい成績を残している。さすが
と感じた。この対局は来年正月に新聞掲載される。
10月15日 本日は山梨科学アカデミーの未来の科学者訪問セミナーの仕事で、
県立農林高校食品科学科に出講した。「加工食品の科学」と題して
味噌は何故美味しくなるか、山梨名産煮貝の歴史と科学を講義した。
時代を反映して女子学生がほとんどである。煮貝は(株)かいやか
ら調達した製品と生アワビを試食してもらい、その物性と味の違い
を比較してもらった。半数が食べたことがないとのことで、「美味
しい」という感激の言葉をもらい、科学の巧みさを理解してもらっ
たのではないだろうか。
午後は元静岡県の沼津工業技術センター所長で小生が若いときに
お世話になった石川さん(博士、技術士)が芸大卒の孫夫婦を伴い
訪れた。20年ぶりの再会であるが、80を超えても元気であった。
マンズワインの松本特別顧問の説明でテイスティングと工場見学は
皆さん感動したようだ。孫夫婦がワイン好きで一度製造所を訪れた
いと懇願されたおじいさんの要請で実現した。孫夫婦はまもなくイ
タリア留学とのことである。月曜日であるので見学者も少なく、じ
っくり勉強が出来たようである。明日も東京出張であるので今日の
午後しか空いていなかったが、恩返しがひょんなことで実現。
同級生のよしみで多忙の松本さんには感謝あるのみ。
こうして記してみるのも日常が整理できて良いものである。
ここのところは森下仁丹(株)が申請者となって採択されたザクロ果実の研究プロジェクトの研究調整に大分時間を割かれた。それでも日本で初めてのザクロを用いた研究プロジェクトには山梨県が不思議にも地域文化果実として少なからず縁があるので力が入る。国内での研究はほとんどないが、世界では何と多いこと。150以上の研究論文が見つかった。近くの家のザクロの木をサンプルとして何とか推進体制が整いほっとしているところである。急ぎのクレーム処理や業種転換した電子関係会社が始めた漬物工場の衛生管理システムの構築、果ては国の6次産業化対策委員会の専門委員会の東京での会議等少し腰が落ち着かないところである。27日は早朝5時少し前に起床。中央高速バスで羽田に向かった。午後1時からの北海道農業研究センターでの農水省の委託研究事業である実用技術開発事業の推進会議である。家内が用意したのが半袖のYシャツを、「おい、北海道だろ、長袖にきまってるじないか」と急遽着替えて向かった。早朝はともかく羽田では少し息苦しさを感じたが、予定通り9時30分のフライトで新千歳空港に着いた。ところが暑くはないものの秋らしい雰囲気が感じられない。高速バスに乗って40分、研究センターの前のバス停に到着した。主任研究者の杉山上席研究員の迎えに5分ばかり待ったが、その広さに驚いた。センターの中の異動は車での異動とのこと。農業研究は圃場を持っているので当然といえば当然である。今回のテーマはカボチャの貯蔵技術の開発である。北海道、神奈川、鹿児島の各県で栽培されるカボチャは収穫時期が異なるので、それそれの間隔を貯蔵技術によって解決しようというのである。私も青果物貯蔵の専門家としていろいろ意見を申し上げた。12の分担項目に従っての研究成果の発表は興味ある内容が含まれていた。休憩時には茹でカボチャの試食会も開催され(下左)、
その微妙な味の違いに感じ入った。夕方6時近くまでの議論に各研究者の情熱が伝わった。私は少し疲れていたので懇親会は珍しく欠席し、千歳第一ホテルに宿泊。ぶらりと外に出て1人ゆっくり夕食を楽しんだ。ハーフボトルのワインを飲み干しホテルに戻って知らぬ間に寝つく。ところが寝た時間が早かったせいか午前2時頃に目が覚めてしまった。こうなると寝れない。ちょっと持参の論文を読みながら4時過ぎに再寝した。6時過ぎには目覚めたがこのホテルの朝食が良かった。ビジネスホテルとはいえ、北海道の水産物が出された。ほたてのさしみ、生たらこ、ニシン焼き等を楽しんで、新千歳空港8時30分発の羽田行きでまさしくトンボ帰りであった。最近はこうしたケースが多くなった。
14日に甲府市の9月定例教育委員会が開催された。教育委員が持ち回りで思いつくまま冒頭に挨拶することになっており、今月は私の当番である。竹島、尖閣諸島の領土問題、ここのところ集中している学校のいじめ問題について、日本人の伝統的な思い遣る心を大切に解決できないか考えていちところである。甲府市の教育重点目標にもこれが掲げられている。先月某テレビ局で24時間テレビというのを放映していた。私はあまり見ないがそれでも時々チャンネルを回す。
丁度最近人気者である愛知県の銀さんの4姉妹が、これからの日本人が生きていくのに大切なことはなんでしょうか。と問われ、2つ答えていた。
人を思い遣る心と忍耐が大切だそうだ。この2つが世の中を平和で楽しく暮らせるコツであるとのことで、厳しい時代を生き抜いた姉妹だからこそ説得力がある。
落語家の五代目春風亭柳昇(平成15年没、その後空席)さんは太平洋戦争で戦傷を負い、陸軍病院に入院したことがあるそうだ。柳昇回想記の中にあるエピソードである。
大和田さんという看護婦さんがいた。柳昇さんは歌を贈った。「国のため、傷追いたれど恨みはなし、優しき君の看語受ければ」。 返歌が来た。「君の歌しみじみ読んで気のつくは、わずかの中に誤字が二字あり」。ひじ鉄の中に相手を思う気持ちがある。そして竹島の問題も「竹とは独の誤記なりや」としたらと。(読売新聞8/24編集手帳)お互いの主張も角が立たずできるものである。
また、私の好きな作家の1人に歴史作家 童門冬二がいる。彼の著書に「人生の全ては落語に学んだ」がある。読んでみると落語好きと自認している私であるわけであるから、この中に取り上げられている古典落語の演目は概ね知っていた。そしてこの思い遣る心の良い例があった。「大山詣り」である。原話は狂言である。昭和の名人5代目古今亭志ん生、6代目三遊亭圓生の語りも聞いたことがある。
相模の国(今の神奈川県)にある「大山石尊大権現」は博打と商売にご利益があるため江戸時代には大勢の江戸っ子が参拝した。その年のお参りに大家さんの先達(案内役)を期待したが、仲間の熊五郎が毎年酔って大騒ぎを起こすので断った。みんなが拝み倒して同行を願うが、ある約束をした。「腹が立ったら罰金として2文、喧嘩をしたら丸坊主」。行きは何事もなく、帰り神奈川宿で、熊が大酒飲んで風呂場で大立ち回りをやらかした。殴られた奴が「二文出すから熊五郎を坊主にしてやる」と言うのを先達が抑えた。殴られた方は納得しない。みんなが寝たところでその連中が熊の頭をきれいに剃った。そして夜が明けて朝飯になった。18人分のお膳が出てきたが、昨晩熊を坊主にした連中が1人分誤魔化して外した。皆は気がつかず神奈川宿を立った。
それからしばらく経って熊が目を覚まし、仲居に坊さん呼ばわれして坊主になっているのに気がついた。「昨夜のことは何も覚えていないが、ひでーことしやがる」と悔しがったが一計を思いついた。駕籠を仕立てて一路江戸へ。先に飛び出した連中を追い抜いた。長屋に帰ると仲間の女房を集め、「帰りに金沢八景を見物することになり、船に弱い自分を残して出発。船頭が今日は天気が良いが南風が吹くからおよしなさいというのを振り切ってでかけ、案の定船は難破で自分だけが生き残った」と嘘を言う。熊はいつも嘘を言うので女房達もにわかに信じない。そこで、かぶりをとって坊主頭を披露する。信じた女房達を1人残らず坊主にして忌中の紙を貼ってお経をあげている。そこにみんなが帰ってきて大騒ぎとなるわけである。熊の意趣返しだと言ってみんなおこり出す。
そこで先達の大家が一言。「これはめでたい。お山は晴天、家へ帰ればみんなが丸坊主。おけがなくっておめでたい」。
これからの教育に落語や和歌の心が必要ではないかと申し上げた。お互いの主張を直接的に伝える時代とはいえ、日本の伝統文化は捨て難く、心が温まり、感情が抜けてまーるく治まるものである。
9月1日は甲府市内富士屋ホテルで国産ワインコンクールが開催して10回目を迎える記念イベントが開催された。思い起こせば2002~2003年はこのコンクールを立ち上げるため東京はもちろん北海道から広島まで開催のため奔走した。この経緯の詳細は現在(株)光琳出版の食品工業に4回の連載で執筆している。既に8月20日脱稿し、現在2回目の原稿が掲載されている。7月30-31日に審査会が行われ、出品点数は過去最高の昨年より若干減少したが690点に達している。今回は外個人審査員を4人に増やし、そのうちの1人 Master of Wine 協会会長の南アフリカのリン・シェリフ女史に特別講演をいただいた。300人に達する多くのワイン関係者が参加、日本のワインの現状と未来について女史の意見を伺った。
このコンクールが開催されてから10年日本のワインの品質は格段に向上したとのことであるが、まだまだ日本のワインの知名度は低いと指摘した。それでもこうしたコンクールは競争原理導入の成果により品質の向上のスピードアップに多大な貢献をしているとお褒め言葉をもらった。ただ出品点数が諸外国のコンクールが数千点から1万点を超える状況から比較すると日本のワインの生産状況はまだまだと言えそうだ。私は密かに以前からアジアを巻き込んだAsian Wine Competitionを構想しているがどうであろうか。
パネルディスカッションではリン・シェリフ女史、田崎真也世界ソムリエ協会会長、山本博日本のワインを愛する会会長ら5名の意見を聞いたが、ワインの飲酒機会を更に多くし、良否の判定ができるようになることが更なるワインの消費拡大と品質向上に繋がるとしている。(右から齋藤山梨県ワイン酒造組合長、田崎世界ソムリエ協会会長、山本日本のワインを愛する会会長、通訳の隣がシェルフ ワインオブマスター協会会長、蛯原明治大学教授)
いずれにしても若い世代がワインへの関心を持ってきたので未来は明るいと言えそうだ。
10回の記念パーティも盛大に開催され、名誉会長の横内正明山梨県知事も参加した。
「小宮山さんここまできたのは貴方のおかげ」という言葉はいささか抵抗はあったが、立ち上げの時の燃える集団となって取り組んだ当時の県庁の仲間達への慰労と御礼の言葉として素直に受けて良いのかも知れない。
9月2日の公開テイスティングには700名近い人達が集まり、会場は熱気を帯びていた。今回は金賞、銀賞が過去最も多く受賞したが、テイスティングを行って見るとやや審査基準が甘くなっていることを感じた。このコンクールがお祭りになっては本来の趣旨から外れてしまう。希少価値があってコンクールは生きてくるのである。今後も審査会が厳しい審査を行っていただくことを願って会場を後にした。