昨日、12月6日(日)は甲府市の南、増穂町(来年4月からは富士川町)の町民会館でますほカップなる小中学生の将棋大会が開催された。この地は現在日本将棋連盟会長である米長邦雄先生の出身地でもあり、大会の審判長は長兄の米長 泰さんが務めている。私は学生時代から趣味として将棋を指していたが、仕事で中断も長く、実力はへぼ将棋の域を脱していない。どういうわけか現在山梨県支部連合会の副会長を務めているが、今回は孫息子(5歳)と孫娘(7歳)の姉弟の応援も兼ねた。幼稚園と小2の2人は今年の初め頃私が教え始めたが、こういう頭のスポーツは教えるという考えでは身につかない。遊びから始めることが肝要である。将棋倒しが楽しくて駒を並べはじめた。歩から順序よく王様まで並べて倒すとこれがとても綺麗で大人でも面白い。「おじいちゃん将棋倒しやろう」の繰り返しだ。飽きるまで繰り返す。そのうち、たまに駒の働きを教え、また将棋倒しをする。繰り返していくうち自然に駒の動きを覚える。急いではいけない。遊びが基本。というのは私が子供に教えた失敗が教訓となっているが、年輪を経て教えることに忍耐と余裕が必要であるということが自然に身についたのであろう。この8月には孫娘は小さな子供将棋大会女子の部で優勝した。きっとうれしかったであろう。この時孫息子は連敗であった。それはそうだ。小学生高学年や中学生と戦ったのだ。勝てるわけながない。最後に泣き出した。でも漢字の読めない幼稚園生が将棋の難しい漢字をイメージであるが全て覚えてしまうのである。この孫息子はこの大会で予選リーグ戦小学校低学年の部で2勝1敗、決勝トーナメントに進んだ。私がびっくり。決勝トーナメントではさすがに敗れたが、プロとの指導対局では8枚落ち(飛車、角、桂、香、銀抜き)で孫娘と一緒に勝利し、サインをもらった。
将棋は王様を中心にしてそれぞれの役割を機能させる、まさにサラリーマン組織に良く似ている。全ての駒(部下)を十二分に働かせ自己責任においてその使い方を判断をするのである。将棋は王様を取られてしまうと負けである。どんな有利な状況でも、圧倒的に優勢な状況でも王様を取られると負けである。織田信長が勝利した桶狭間の合戦が象徴的である。油断は禁物である。しかし、こうしたルールが将棋は厳しい勝負と言われる所以である。勝敗がはっきりし、負けましたといわなければならない。大人になると将棋を指す人口が減るといわれるのは、こんなことが原因であろう。一方子供にとってこの頭のスポーツはまさに頭脳の発達には最高であると思う。ただ、将棋の世界はとかく勝ち負けだけにこだわる傾向が強く、人を思う心、愛情を注ぐ心にやや欠けた自己主張が強い人間が多いことも事実で、社会教育に活かされるかどうか疑問点もある。これはプロ、アマの将棋愛好家に強く求められることでもあり、将棋を通じて社会教育に還元させる本質をどのようにして作っていくかが、将棋の文化的、教育的価値を高め、創造していく課題であろうと思う。
今回、来県した、プロ棋士である飯塚七段、佐々木五段、谷川女流四段(写真)はそれぞれ年代も違ったが、真剣勝負師としての想像される厳しさ秘めながら指導者としても人間性豊かな一面を持った棋士であった。昼食、指導対局後の慰労夕食会も和やかに過ごせた。特に谷川女流四段は女性の優しさを持った私があこがれていた棋士のひとりでもあり、女流棋士の先駆的なグループの一員であった。引退はされているが、、j女流王将も獲得した実績のある指導者として大変活躍されている。隣席で楽しく歓談し、将棋界の現状や将来を語っていただいた。住まいが東京の東小金井だそうで、私の叔父の住まいの近隣であることがより親近感を感じさせた。3人の先生方は8時の甲府発の新宿行きで家路についた。益々の精進と活躍を期待したい。