9月20日午後2時半過ぎ北京空港に山梨大学の村松教授と降り立った。21日から山東省泰安で開催される第3回のザクロ果実の栽培利用の国際会議出席のためである。相変わらずではあるが、朝4時20分石和から成田行きの高速バスに乗車した。一便遅らせてもいいのだが何といっても外国であるし、途中不慮の渋滞に巻き込まれてはいけないと早めに立った。成田には7時前に着き、10時35分のフライトには時間の余裕があり過ぎると思っていたが、いろいろ話しているうちにあっという間にフライトの時間が迫った。今回の旅行は旅行社を通さないで直接手配したことから北京空港から泰安へのルートを綿密に調べた。が、それでも予想外の展開になった。北京空港からの出国手続きにも手間取ったが、そこから空港高速線が意外に時間を要し、地下鉄に2回乗り継ぎ、北京南駅には2時間を要した。当初3時30分の北京南駅からの時速300kmの高速鉄道に乗車して5時半過ぎに到着する予定であったが、とんでもないことで、駅に着いたのが既に3時30分を回っており、仕方なく4時15分に乗車しようと思って切符売り場に行くと、またまた驚きで、大変な行列ができていた。しかも窓口の上部にある電光掲示板の空席状況を見ると当日券はないような情報に見えた。それでもその列に並び順番が回ってきた。村松先生があらかじめ用意していた中国語の購入手続き示した紙を渡すと、じっと読んでこちらを向き、Todayと発して検索を始めた。まさか今夜はここに泊まるのではという不安に襲われたが、ディスプレイを見せてこれで良いかと判断を迫った。時間は5時35分で、泰安には8時40分着であった。同じ高速鉄道でも3時間を要するのである。料金が予定より200元近く安いので不思議に思ったが、それでも直ちにOKと言わざるを得ないのでパスポート出してやっと切符を手に入れた。北京南と泰安は2時間と考えていたので、さらに現地に到着する時間が遅くなるので心配ではあった。

実際乗車してみると、一等座といっても快適性も十分でなく、会議終了後の帰国時の列車の乗り心地が良かったことから外観は同じでもスピードと列車内の内装の違いが料金に跳ね返っているこがわかった。時間を要する理由も途中の停車駅の停車時間の長いことが主な理由であった。泰安に到着後出迎えの若い中国研究者の行動から我々が最後の参加者であることが理解できた。会議が開催されたRamada Plaza Taian Hotelは立派なホテルではあったが、どうも私のような庶民には囲居心地はさほど良くなかった。17時間の長旅ではあったが、緊張感からそれほどの疲れは感じることもなく21日からの会議の準備を行うことができた。

(20日、21日の国際会議場であるホテル正面に掲げられたザクロ国際会議の横断幕:右写真)
国際園芸学会の分科会という位置づけの会議は、ザクロの栽培環境からヨーロッパの参加者はスペイン、イタリア、クロアチア、アゼルバイジャン以外はいなかったようであったがポスター発表には他の国の発表が見られた。アフリカからはエジプト、リビアからの参加者、アメリカ、中国等の他は中近東が多かった。150人ほどの研究者がザクロ一色で集まるのかと驚いたが、その後の発表を聞くにつれ、世界の栽培面積が相当量増加していることがわかり、Tea Breakで出されたザクロの大きさにも驚き、大きさを中国研究者に聞いたが、不思議にも600g程度の予想は当たった。マーケットの拡大状況は各国の発表が裏付けた。丸1日の会議はそれなりに充実しており、オフィシャル言語が英語でなかなか聞き取れなかったが、スライドは良く理解でき充実した1日であった。翌22日も午前中は会議に没頭したが、その間今回発表したポスター(森下仁丹(株)、山梨県工業技術センターとの共同研究)にもついても2,3関心が寄せられ、 (ポスター発表前にて:筆者)

苗の販売関係者からはパンフレットの提供等があった。栽培の専門家である村松教授はあちこちの研究者にコンタクトをとり今後の品種選択の道筋を探っていた。午後からはいよいよここから更に80kmほど下がった棗庄に2時間以上を要してバスで移動したのである。

仕事では2回目、余暇で2回の訪問になるが、大陸の中心に入ると広さのみを強く感じた。夕方にはザクロTempleに立ち寄り参道のザクロ及びザクロ生ジュースの売り子の歓迎を受けた。
泰安は400万人位の都市であるが、ここも300万人位であるとの話を聞き、国の大きさを感ずることとなった。23日は1日棗庄市内近郊のザクロ園(上写真は中国国内の産地別のザクロが植えられたザクロ園)、ザクロ栽培地、ザクロ文化館、ザクロ加工工場、そしてザクロ加工食品展とザクロ一色の1日であった。

(ザクロ加工品展示場入口で村松教授と:少し疲れた感じかな?)
しかも中国では四川省はさらに大きなザクロ栽培地があると聞いて驚きの一言であった。特にザクロ栽培地を車で7km位移動する間左右はまさにザクロ畑の海であることに異様な感動を感じた。写真ではなかなか説明できないが、イランやインド、アフガニスタンが更なる栽培地であることから、我々がこれまで文献・統計上把握している170万トンは今回の発表と現地視察からはるかに超えて、200~250万トンあるいは300万トン近くに達するのではないかという感じを得た。棗庄がザクロの町であることは、今回世界ザクロ展と称して以下のような大きなマスコットを作って宣伝していることからも窺える。日本にはザクロ産地はないが、山梨県には「甲斐八珍果」という唯一ザクロヒストリーがあるわけで、地域振興の新たな創造という意味から、今回の国際会議と産地を直接この目で見たことは大きな未来志向の産業して繋がっていける道筋が蜃気楼のようではあるが、その先に地に着いた未来が見えるような気もする。無から有を創造することが好きな私の性格かもしれないが。
そんなことを思いながら翌24日早朝5時起床、そして自宅に着いたのは23時30分であった。

(世界ザクロ展と称した如何にも中国らしいメイン会場の大型ザクロマスコット)